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SM随筆
我が意を得たり矣



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小手縛りのこと


人を縛ると言えば先ず手首の拘束から始められるのが通例で、これを基本として身体の他の部位に及ぶ。従って緊縛プレイでも、その面白さと言う点では多面的ではあるが、重点は矢張り両手の処理方法にあるように思う。その両手の処理にも色々な方法が認められ、古来の縄法を列挙するまでもなく、身近のプレイの中でも各人各様の工夫や嗜好習慣が窺われる。K誌、最近号から気のついた例を2、3見てみよう。

大橋美代子夫人は『強盗残酷記』の中で、普通の姿勢と柱を背負った姿勢とで、二度の後手縛りを受けておられる。その小手縛りの縄の掛け方が、何れも組み合わせた両手首を単にロープで縦に巻き締められている。





つまり縄目が水平に、横に走ってはいないし、十文字の縄掛けでもない。これは或は、この時限りの偶然であったのかも知れない。しかし『組手』方法も、必ず右手を下にし、左手が上に来る一定した小手縛りの習慣を堅守されている位のマニヤ振りなのだから、こうした簡単な縄掛け一つにしても、ある程度、習慣化しているのではなかろうかと想像される。


 小田原一郎氏夫人の後手、小手縛りを見ると、初めの時は右に挙げた大橋夫人同様の縄目が縦に掛けられているだけだった。処が二度目に発表されたフォトでは、組み合わされた手首の交点に、縛り縄が盛り上がったような複雑厳重な緊縛が行なわれている。写真が不鮮明で、それが正確な十文字縛りかどうかは分からないが少なくとも、その辺に夫人のM化の進み具合を認められる。小弛みもしないであろう。これだけの小手縛りの上に、上膊部の二段の高手縄も厳重を極めている所から推察して、この姿のままで、一時問余りも『縛られ酌婦』を勤められたその時の夫人の両掌指は、必ずや赤紫色に変色した事だろう。

 紀川和歌子夫人の小手縛りは特徴的で面白い。背中に回した両腕を、いつも思い切り深く組み合わせてあるから、手首がピッタリと合致しないまま、夫々を反対の下膊部に縛りつけてある。しかも、その縄筋の数が左右不均等で、一本だったり、二本だったりしている。時には小手には無関係に、肘下を縛ったりした場合もあり、手首を合わせた正十文字の小手縛りは、少なくともフォトでは、お見受けされない。

 和歌子夫人のこうした小手縛りは、勿論、二の腕の高手縛りが併用された上での事だから恐らく高手小手、後手縛りの完璧を期するために随分ご苦心なさった結果として到達された独自の方式だと思う。夫人の全身を覆う他の部位の緊縛状況から見ても、形式や定型には余り拘らない、自由奔放な緊縛プレイを楽しんでおられるご様子と推察される。

 処で、後手、高手小手縛りを行なう場合、上膊部を上体に厳重に縛りつけながら、同時に手首を十文字縄で正確に緊縛する事は、なかなか至難である。即ち、小手の十字縛りを厳重にすれば両肘が左右に張って腕が開き、折角の高手縛りは二の腕が胴に密着しない。逆に、高手縛りを厳しくすると、小手の十文字縛りが、むつかしくなる。こんな場合、両腕を深く組み合わせて手首から、いくらか上方を組んで十字に縛る事が、しばしば行なわれている。しかし、高手縄が緩くて両腋があいているのも、小手縄が手首から外れた所に掛けられているのも、マニアにとっては好ましい光景とは言えない。それで、高手縄を厳重に締め上げた時は、小手縄を打つ手首は、そのまま真直ぐに降ろして縦長の状態に組み合わせ、縄目を横に走らせる縛り方が普遍的のようである。

 これとは逆に、手首を背中に高々と捩り上げて十文字に組み合わせる方法は、元より理想である。十月号のイメージ画『細腰無残』で、こうした両腕逆捩りの高手小手縛りが描かれていたが、それは無残に蜂のように細々と締め絞られた細腰の形状と同様、一種の絵空事と解するのが無難である。しかし、山田恭一氏は『縛りの基本方針』の中で、後手縛りの手首を、肩先からのぞくまで高く引き上げる事を主張され、その実行は、初めは腕のつけ根、両腕が痛いが、くり返すと馴れてくると説明しておられるから、こうした理想的緊縛に堪えられる方もあるに、相違ない。しかし、これは余程、人並外れて柔軟な体質の持主でない限り困難な作業であり、少なくとも万人向きとは申されない。

 そこで、厳重な後手、高手小手縛りを、どなたにでも無理なく完成させる一つの手段として、私は嘗て拙稿『縛り方教室』で、滴水流の緊縛法を紹介した事がある。滴水流と言っても、そうした古縄法がある訳ではない。挿絵の石井滴水画伯が昔よく描かれた縛り方だから、私は左様、勝手に名づけたに過ぎないものだ。


この方法は、後手を深々と組み合わせて両の手首を夫々反対側の肘近くまで引き寄せる。そして、右手首と左肘、左手首と右肘を縛りつけ、そうすると、厭でも両上膊部は上体に密着せざるを得なくなる。従って高手縄も思う存分、厳しく縛め上げられるのである。背中で横に重ね合わされた左右の下膊部の中央も一括して縛り上げ、尚これに高手縄を経由した首縄に連結させる事によって、この後手縛りは一層、完全なものとなる。この方法だと手首を組み合わせた十文字縛りの美しさが見られないのが欠点だが、兎に角こうする事によって力一杯の高手小手縛りが実現出来る最善の策であると言えよう。

右の緊縛方注を誌上に紹介した折に、誌上でも、モデルを使って試みられるようにお勧めしたと記憶するが、ついぞ最近まで、この緊縛法による高手小手の写真を見る機会がなかった。処が、45年10月号『税虐の甘き戯れ』の中で、辻村隆氏によって、誌上で初めてその完全な実況に接する事が出来たのは愉快であった。被縛者は渡部好美夫人である。





写真によれば、夫人は鏡台前の丸椅子に、裸身を後手、高手小手縛りに縛られて、背面を洒しておられる。この時の小手縛りが問題の滴水流なのである。特筆したいのは、縛り縄の縄筋の数の多い事である。左肘に縛られた右手首に三筋縄。右肘に縛られた左手首に四筋縄。重ね合わせた下膊部中央に二筋縄が厳重に締めつけられていた。そして、二の腕には実に八筋の高手縄がギリギリと喰い込んでいる素晴しさなのであった。

翌46年3月号では、須坂旭氏のイメージ画『木馬』で、この滴水流が描かれていたのも楽しかった。この絵では、首縄から降ろされた縄目が、X字状に背中を締めつけ、二の腕に喰い入る高手縄に連結している。下膊部中央の緊縛こそなかったが、左右に絞って組み合わされた



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小手縄の緊縛度から、充分この折檻の激しさを知る事が出来た。須坂兄は実際に、こうした方法による緊縛を実行しておられるものか、あるいは、どういうヒントで、この珍しい方法を採用なさったのかは分からない。先に挙げた辻村氏による緊縛にしても、真逆、嘗ての拙稿がお役に立っていようなどとは夢にも思わない。けれども、従前から誌上に是非にと期待していたこの縄掛けを、引き続いて二度までも見る事が出来たのは、私にとって、すこぶる嬉しい限りであった。

この小手縛り法を、私は『コの字縛り』又は『逆背嚢』とも称している。それは、左右の肩から連繋した上膊部、下膊部の形状が、仮名のコの字を上向きにした風にも見え、又兵隊のマントを括りつけた背嚢を逆さまに背負ったら、多分こんな姿になると思われるからでもある。何れにしても、この方法を好美夫人の実例のように厳重に敢行なさって、後手、高手小手縛りの醍醐味を心おきなく満喫される事を、お勧めしたい。


 尚、小手縛りに関連して、最近、新宿コマ劇場前に開館したジョイパックビルの蝋人形館入口に、映画ソルジャーブルーの宣伝写真で衆知の、インデイアン嬢の後手、小手縛り人形が飾られて人目を引いている。これは入場しなくてもロハで見られる。流石に良く出来ているのでギョッとする眺めである。お閑の方は最寄りにお出掛けの折にでも立ち寄られるのがよろしい。



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吊るし責めのこと



私は拙稿『吊るし責め』の冒頭を借りて、吊るし責めが緊縛プレイの到達する一頂点であると指摘した。しかし、その実際については、被吊者に極度のM性と体力がない限り、満足な結果は得られない。殊に、それが映画演劇の場合は、所謂、補助縄の使用を必要とする事は、それが肉体に及ぼす影響や、苦痛の度合から見て当然と、うなずける。事実、本当の吊るし責めを舞台の上で実行してくれた女性は、私の乏しい経験では忍妙子さんぐらいなものである。彼女については、私はSMショー実見記として記した事もあり、他の同好の方からも、その凄絶な艶姿に関するレポートも寄せられていたから、ご記憶の方もあろう。

さて、以前公開された東映映画『性倒錯の世界』で、辻村隆氏による見事な吊るし責めの美しさを観賞する事が出来た。映画そのものは1時間半以上にも及ぶ長いものだが、お目当ての『緊縛』シーンは、わずか10分前後に過ぎなかったのは残念である。しかし、その内容は全く見応えがあり、充分に吊るし責めの実態を描写し、成果を挙げていたのは流石であった。この件は既に演出、実技者である辻村氏の直接の筆によって、詳細に語られているから、ここに多言はしない。が谷山、渡部両女史を存分に駆使しての緊縛経過の実景と、吊るし責めの実際の素晴らしさは、いくら褒めても言葉は尽せない。

ご両人を全裸に剥いて、吊り縄を足首に直接、縛った逆さ吊るし、それに水車への大の字縛り、並びに梯子逆さ縛り吊るし。これらは未だ嘗て映画史上に見られなかった程、深刻な責め折檻の実技であった。これは勿論、緊縛師、辻村氏と二人の真性M女性を得て、初めてなし遂げられた壮挙である。この場面の撮影に要した実際の時間は、相当、長時間であっただろう。ご両人が本当に縛られ、吊るされた正味時間は、二つの折檻を合わせると優に一時間以上と推測される。苦痛に歪む谷山久美子さんの逆さになった額に寄せられた深い皺が誠に印象的だった。私は、この僅か十分程のシーンを見て、年甲斐もなく昂奮した。

処で、一月号の杉本弘志氏のご意見では、この両女史について『美しく魅力的というには、ほど遠い醜女で体も汚く、そして顔の表情も、ただ暗く歪んでいるだけなのは、悲しいでした』と述べられている。しかし、私には左様とは思われなかった。外見的に美しいモデルや女優を使った形ばかりの責め写真では到底、味わい得ない真実の残酷美を、両女史の痛ましい姿の中に見出したからである。伊藤晴雨翁は緊縛美女の中に残酷美の極致を探究された、いわば我々の大先達なのだが、嘗て一度、実際に女が責め折檻されている現場に遭遇された時の感想では、それは美しい処か到底見るに堪えない光景であったとか。所詮、折檻などと言うものは、本質的には美しさとは無縁のものであろう。若しも実際の責め場に美を見出すとすれば、そこに見目、形良い美人画風の美しさではなくして、一般的、美意識から外れた異質の何ものかの発現に俟たなければならないであろう。その異質の存在の中に何を認め、それをどう解釈評価するかは元より個々の人の任意であるし、それが様々に意見が分かれる所以でもある。

この責め場での両女史が、杉本兄ご希望のように花を欺くような美女であったならば、勿論それに越した事はないのは事実である。けれども、そめ期待通りではなかった事が、直ちにこのフィルムの価値を減少さすものではない。この両女史によって行なわれた場面の中に、言葉では言い現わせない美しさを見出す事が出来たのである。その美しさは単に表面的な美観ではなく、強度のM性嗜好者のみが持つ肉体と精神の内奥から湧き出る恍惚の歓喜によって、立派に裏づけられた美しさとして私の目に映じた。これこそ私が折に触れて言う本物の価値、あるいは本物と贋物との相違でもあろうかと思う。すなわちこのご両人のM性が本物であればこそ、そして、そこで行なわれた折檻が本物であったればこそ、初めて創り出された哀れにも美しいマゾの妖花であったと信ずる。それにしても人の心の働き、感覚の相違が個々にどれ程、差があるものか、思えば不思議な気がする。こうした見解の岐路は、S的とM的という立脚点の相違から起こる場合もあり得るかも知れないと考えたりしている。

不思議と言えば、この折檻シーン中、そこから、失笑めいた笑い声が起こった事である。その笑いの主たるや、レスビアンのシ−ンでは目の色変えて息を殺していた連中らしい事を思うと、全く人間の嗜好、物の判断分別の仕方など、正に世は様々と語らざるを得ない。右に述べた『吊るし責め』に関する美醜についても、何も、めくじら立てて七面倒臭く考える必要もなかったようである。事は、ただ単に、それを美しいと思うか思わないかの相違に過ぎないのであり、どう思おうと勝手なのだから……左様言えば近頃、手近のショー舞台では、レスビアンが大人気らしく、所謂、残酷物が影を潜めているのは、マニアとして寂しい限りである。従って忍さんや青木順子さんにも絶えて久しくお目に掛かる横会がない。

 話を戻して、『吊るし責め』こそ、緊縛プレイの精華と断定出来る実証列として、最近の誌上に、この種の吊るしプレイが大層、頻繁に現われる様になった事実を挙げられる。拙稿『吊るし責め』の実演者例にも見られるように、モデルやエセ者ではない、真性のM女性の多くが、数々の責め苦に堪え、被虐の悦びに浸っておられる。こんな事は以前の誌上では見ようにも見られなかったし私の記憶では、川端多奈子さんが、その先駆者として僅かに挙げられるに過ない。川越美佐子さんに至っては、従前は単なる緊縛モデルとして登場なさったものが、竜珠子と化身された最近の変貌振りに驚かされる。彼女は実に、半日のプレイの中で、至難な、吊るし責めを五種類(膝折り逆吊り、直線逆吊り、四ツ手吊り、府向けハンモック吊り、Y字開脚逆吊り)も甘受、陶酔されている実情を拝承出来た事は喜びであった。こうしたモデル嬢のM性向上もさる事ながら、事実、読者側の嗜好そのものも漸次、SM化の度合を深めて来ているのであろう。時代の推移を痛感せざるを得ない。

 それかあらぬか読者からの通信に見られる夫婦プレイの実際に於いても、思いもよらない位、素晴しい吊るしの実景を拝見する事がある。福井太郎氏は、ご結婚以前から現在の夫人を相手に緊縛プレイを楽しんでおられたと『縄に酔う』の中で述べられているが、夫人が両足を二つに折って、後手、雁字搦めに縛られた上での正位宙吊りの光景は、忘れようにも忘れられない。大橋美代子夫人の如きは、最近では室内に組立式の磔柱さえ特設され、正位、逆位の磔刑を甘受しておられるが以前のご通信によって拝見した直線逆さ吊るしの素晴らしさは圧巻であった。誌上に挿入された写真は小型ではあったけれども、縄目といい、吊り姿勢といい、非の打ち処のない実景として、未だに眼底に灼きついて離れない。逆さ吊るしといい、磔刑といい、夫人のM化進行振りには、全く目を瞠らせるものがある。

田宮寿子夫人は、ご結婚当初、仲々夫君のSM嗜好に追従出来ず、5年目にして、ようやくK誌の直送購読を納得された程だった。それが現在では、夫人の聡明な稟質と夫君の愛情とがSMの花園に美しく結合開花して、奴隷妻としての典型的貞女振りを示されている。

夫君恭介氏によれば、『妻は小柄で吊りには最適です』(夫婦で掴んだ幸福)と述べられているにつけても、さぞかし楽しい日常をお過しの事と拝察される。拙稿『吊るし責め』の挿入写真として、特に寿子夫人の麗姿数葉を提供して下さった編集子のご好意を心から感謝せずにはいられない。寿子夫人については嘗て台所の柱縛りの余りのいじらしいお姿に魅了されて、幾つかの駄句を献呈した事があった。それ程、印象の深い方なのだがその後、どうしておられるのだろうか。近況を承りたいものである。

これからも吊るし責めは多くの夫婦プレイヤーはじめ、マニア各位によってしばしば実行される事と思うが、吊るしの中で最も至難な逆吊りに関しては、先号で小竹一浩兄に捧げた一文の中に記した副縄の使用法を重ねてお勧め申し上げる。これは誰方にでも至って容易に実行出来る方法である事、請合いだから、それから記録としては吊るし時間を必ず付記して頂きたいと思う。これは半日位の間に数種のプレイを急がなければならない場合は別として一つの責めに目的を絞ったプレイの場合は是非とも、お忘れなくお願いしたいと思う。この緊縛経過時問は、吊るし責めに限らず全てのプレイにも大切な事柄だが、特に吊るし責めに於いて重要と思われるからである。



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胴 鎖 の こ と




奴隷妻の証としての胴鎖の価値については多くの意見もあろうが夫君の飼育を甘受している奴隷妻諸姉の間に、この胴鎖の常用こそ、夫婦結合の象徴であるとして受け容れ、従順に実践しておられる方々の実在を、幾度も誌上で知る事が出来たのは、この上もない喜びである。

『鎖で繋がれる』と言う事は、元より肉体的自由を束縛される拘束状態を意味する。それは多くの場合、囚人、奴隷に代表される特殊な社会でのみ実施される。しかも、その事は大衆に何等の抵抗感もなく、当然あるべき姿として容認されている。言い換えれば、囚人奴隷の自分であればこそ、鎖で繋がれているのであって、この事は社会的自由人に対する処遇とは全く無縁の筈なのである。

それにも拘らず、あえて『鎖』を求めて、自らの肉体を惜し気もなく被拘緊者としての地位に置く奴隷妻の心情に思いを致す時、その哀れさといじらしさに胸打たれるのである。


 それでは、何が彼女達を左様にさせたか。緊縛、吊るし、鼻虐め等、多彩な嗜虐生活に明け暮れしておられる大橋美代子夫人は、その被虐の感情の依って来るべき原点を、いみじくも夫婦の情愛に求められていられる。これについては、すでに先号の拙稿中に同夫人の告白文『被虐鼻』の中の数行を引用したが更に引き続いて『強盗残酷記』から同様の、ご高見を抜粋させて頂く事とする。『夫にかけてもらう縄は、たとえ、それが、どんなに厳しくかけられた縄目であっても、この苦痛の中に、ほのぼのとした夫の愛情が肌で感じられるのです』

この言葉こそ、世の多くの奴隷妻諸姉の偽りのない情感の発露だと思う。この純真な愛情と感覚があればこそ、甘受出来る被虐の陶酔であり心の中に燃え上がる歓喜でもある。従って反対に、こうした感覚的資質を持ち合わせない女性は、奴隷妻としての飼育には当然、不適当と言わざるを得ない。とは言え、こうしたM化に対して全く理解を持たない、あるいは、それを嫌悪さえする妻があったとしても、それを理由として夫のS意に反する悪妻として非難するべき性質のものでは決してない事を、お断わりしなければならない。思い起こせば数年前、例の『憎縄の記』が発表された時、この一文に対する多くの議論が沸騰した事があった。当時の、その批評文の内で非常に心打たれた能美積氏による次の文章を掲げ、夫の愛を身体一つに受け止め、ひたすらSMの世界に幸福を追求する妻の姿を偲ぶ、よすがとしよう。『あなたのように優しく愛してくれるのだったら、あたしは、どんなに、きつく括られても平気よ。あなたを変態だと思ったのは事実よ。でも今は、そうは思わない。あなたに喜んで貰えるのなら、どんな辛い事だって辛いとは思わないわ。あなたの愛を一番、惨めな姿態で受け止めても、そうすればするほど、素晴しい赤ちゃんが、授かると思うの……』(女と縄のある限り)

ここで明確に言える事は、奴隷妻に甘んじ得られる女性に限って少なくとも悪妻である筈がないと断定出来るのではあるまいか。国川栄一氏が嘗て今田夫人はじめ、悦虐生活に身を委ねる妻女諸姉に対して『貞女』と言う言葉で称讃されたのは決して理由のない事ではない。私は敢えてここに奴隷妻貞女説を声高く主張する。そして、奴隷妻の細腰深く喰い込む胴鎖こそは、夫婦プレイに於ける一般的緊縛行為が更に一段と進化したものであり愛情によって浄化されたM性が、より一層、強く発揮された物的証拠であると解するのである。

処で、紀川正信氏から初めての玉稿を拝見したのは、45年10月号であった。立ち縛りで頭からパンティーをかぶせられたり、細引が乳首を横断する和歌子夫人の責め写真を楽しく鑑賞してから半年の後。夫人の腰に、いくつかの鈴をぶら下げた腰縄が締められているフォトを発見した時、私は一つの可能性を秘かに期待したのであった。それは、この腰縄が、私だけの偏見からか、鎖のようにも思われたからであった。たとえ、それが鎖でなかったとしても紀川氏は今後、恐らく近い将来、必ずや胴鎖に進まれるに違いないと直感したのであった。



果たせる哉、この私の期待は半年後に実現した。すなわち、10月号に於いて、遂に鎖パンティーが登場したのである。兄は、この号に寄せられた屋外フォトによって、鎖パンティーと白いロープとの対比を狙われたのだが今後、鎖の数を増やして緊縛感を与え、鎖ブラジャーもして見ようと申された。その上、『妻にクサリの緊縛度や、縛られ具合の感想を書かそう』とまで言明されたのだった。この時の鎖パンティーの写真で惜しまれたのは下腹部に走った横鎖が、体側の縦鎖に連絡していて、ヒップを一周していなかったことである。つまり、ウエスト同様ヒップにも一巻きでも鎖が一巡していれば、もっと美事な緊縛感が得られた筈であった。ともあれ、ここに、またしても奴隷妻らしい奴隷妻の新たな誕生を迎え得られたことを率直に喜んだのであった。

そして、兄のお約束の通り、1月号では和歌子夫人の告白文と鎖下着姿を拝見することが出来た。しかも、このフォトでは、10月号のような中途半端な鎖目は、最早、見られない。山本富子夫人や小竹雪杖夫人の再来かとも思われるばかりの、全身の鎖縛りが施されている。私は敢えて夫人に対し『奴隷妻第四の女』と、お呼びしたいと思う。夫人によれば『肉体的な責めよりも、色々な羞恥責めの方が女の身にとっては辛い』と、申されている。成る程、左様、言うものかと首肯されるが、この言葉の真には『肉体的な責めならば大抵のことなら堪えぬかれる』との意味合いが含まれていると言う解釈も成り立つかも知れない。






更に夫人は『何卒、私たちのため、御注文やお叱りの御言葉を賜わりますよう』との謙虚さ溢れる申し出をしておられる。そこで臆面もなく愚見を述べさせて頂くならば、

1、鎖の縮めつけ加滅を全般的に今少し強化なさっては如何。
2、上膊部と太腿にも腿縛りを実施して、鎖スリーブ、鎖ホット・パンツをお作りになっては如何。この鎖スリーブはブラジャーの脇鎖に連結することによって高手縛りになり、鎖パンツは両腿の内側部分を連結すれば直ちに太腿錠に代用される利用価値を持つ。

左様なれば夫人の全身を覆う鎖は、すでに下着の域を脱して、それは最愛の夫君正信氏から支えられた最高の贈り物『奴隷衣』その物になると思う。この奴隷衣は絶え間なく夫人の裸身全体を責め続けることになろう。夫人が『最初、手を後ろにまわされて縛られてから』次第にエスカレートした貴ご夫妻のSMPが、ようやく到達なさった現在の境地が、この鎖による緊縛であるからには、その鎖による悦虐の成果を、尚一層、完璧化される意味で、右記の注文を是非共、実現されることを望むものである。

さて、11月号では代表的全日制奴隷妻であられる山本富子夫人の艶姿を、久方振りに拝見出来て懐かしかった。夫君武男氏の玉稿『わが夫婦とクサリ』によれば、兄には愚生かねがねの主張を採り上げられて『夫婦プレイに於いて奴隷妻の証としての胴鎖を46時中縮めつけていることに愛情の度合を確認』なさった。そして去る7月1日から富子夫人に対して、従来の鎖下着に替えて鎖丁字帯を着用させ、施錠によってクサリの縮め具合の調節を図られているとのことである。

この施錠は腹部に当たる鎖の経ぎ目に、小さな錠をつけてあるのだが、その日の気分によってクサリの縮めつけが簡単に変えられることが、富子夫人に大変お気に召しているらしい。ここに述べられた『その日の気分』とは私流の解釈では『もっと厳しく鎖を締めつけて欲しい時』と言う積極的な意味があるのであって、『苦しくて堪まらないから緩めて下さい』と言う消極的なものではないように思われる。貴山本家では、これを最早、必需品として愛用なさっておられると言うことだし、玉稿の末尾を『愛用者が多くなれば……と考えるだけでもゾクゾクしてしまいます』と結ばれている辺り、奴隷妻の証としての胴鎖緊締に対する並々ならぬご熱心と、同好者の増加に寄せられる熱意と期待の大きさを窺えて欣快に堪えない。

 最近、金属、特に鎖製品の装身具が流行し始めている。従って、昔は何か特殊な物質と思われ勝ちであった『鎖』そのものが、単なる拘束具と言う観念から脱却して極く身近な存在として容認されて来ていることは、否定出来ない。こうした鎖に対する親近感が若い世代に定着したことで、『貴方好みの女になりたい』と奴隷化を歌い上げた女性達によって割合、抵抗感少なくソフトなムードの内に胴鎖や鎖下着が愛用されるようになったと仮定しよう。そうなればS・M・Pの分野にも新たな道が開かれるのではないかという期待すら、持たれる。今日までの胴鎖愛好者を仮に古典派、乃至、本格派と呼ぶならば、こう言う新しい傾向の人達は、さしずめ、ソフトムード派とでも言えるだろう。

 世の全てのM化女性の間に、本格派、ムード派の、いずれにせよ、奴隷妻の証としての胴鎖の緊締が普及一般化したとしたら、さぞかし愉快だと思う。左様なると、全国の洋品店やデパート等でも、様々な形式の意匠を凝らした施綻式胴鎖が続々と発売される。それらは、ひたすらに緊縛のみを目的とした本格物からガードルやコルセット代用の物、あるいは貞環帯を兼ねた物等々に至るまで、有名メーカーによって智慧と技術を競って製作販売される。結婚式場では、花嫁に対し、エンゲージリングの代りに『スレイブバンド』としての胴鎖が与えられることが通例化して来るかも知れない。遂には、その式場で花嫁に着帯施錠するまでになることも考えられる。銭湯とか、海水浴場、プール等では殊更、この刑鎖を誇示する風潮すら生まれ、『まあ、一寸、見て! あの女、奴隷妻よ。羨ましいワ』と言うことに、ならないかなあ。仮に私のこれらの妄想が現実化したとしたら胴鎖の緊縛は『慕情』で述べた羞恥責めとは全く趣きが違って来る。最早、胴鎖は夫の愛撫に恵まれ、身も心も幸福の高嶺に咲き誇るM妻の証としてのチャンピオンベルトの栄誉に輝くのである。

M妻と言えば思い出される佳人、安井喜久子夫人は今どうしておられるのだろう。ロープ・ブラジャー、腰縄つきで台所で責められたり、一頃は複数プレイまでして、あんなに活躍されてたのに誌上から遠ざかられて久しい。無理な注文かも知れないが、ご家庭の環境さえ許されるなら白いロープを金銀に光り輝く鎖に替えて、プロポーションの美しい痩身も、くびれよと美々しく縛めつけられた、まぶしいばかりの鎖姿をいつか拝見したいものである。

尚、山本氏ご夫妻に対しては、今後は、この胴鎖の緊縛を愈々厳重に恒常化せられると同時に、これを基本として従前にも劣らぬ美しい鎖下着の製作、着用についても、ご夫婦相携えて一層、ご研鑚あらんことを切望する次第である。



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装身具のこと




 
近頃、外出に楽しみが一つ、増えた。それは若い女性達の服装が、多分にSM嗜好に叶う流行を見せつつあるからである。嘗てマニヤを虜にした『ビザール』誌には、極端に高いハイヒールや、膝元から更に高腿まで達するブーツの写真が毎号、掲載されていた。こう言うSM的製品の使用が、当時欧米の女性風俗の一般的傾向であったとは思われない。が、少なくとも左様した品々を公然と使用出来た海外の実情を、それが風俗習慣の違いとは言え、大いに羨んだものだった。

処が、どうだろう。昨今、我が国でも、これ等の商品に関するブーツが街中に溢れ、ただでさえ美しさを増した若い女性達に愛好されて女性美を、いやが上にも助長している。殊に今冬は一種のブームの到来を思わせる。

このブーツの魅力の特徴は、昔から我が国でも使われていた長靴や半長靴では味わえない緊縛美を女性達の脚線美にプラスした点にある。しかも、その美しさは従来からある乗馬用長靴の持つ味わいと、異質のものである。乗馬用長靴に対する倒錯嗜好は、所謂ブーツフェティッシュとして早くから認められもっぱらM男に対するS女の権位の象徴であった。そして、その嗜好は変態性欲病理の中の節片淫乱症の一つとして、独立したジャンルを形成している。ただし、私には緊縛感を伴わない女の乗馬用長靴には一向、楽しさを感じない。いわゆる、旧態のブーツフェティシュの側から見れば、現行のブーツもM性を掻き立てられるS的物質として受け容れられているに相違ないし、女性の中にも、これと同様の感覚を持つ人もあろうと思う。

しかし現在流行の、このブーツは、これを愛用する女性側に男性を征服する、つまり女性上位的感覚より以上に自らを拘束するM的感覚が多分に感じ取られる。ただし、これは私独りの僻見であるかも知れないが。こうしたM感覚に加えて外観的にエロティックな情緒的魅力が加わっていることが一段と強く男心を捕えるのだと思う。

これらのブーツで締め上げられた女性の足は、太ければ太いなりに、細ければ細いで、それぞれの美しさがある。その美しさは素足やストッキングで飾られた場合より、以上に魅惑的でさえあるのは、ひとえに本来の足の容姿の欠点が矯正される結果である。が、それを見る側の立場からすれば、今一つの要素すなわち緊縛感と言うSM的感覚が視覚を通じて伝達されるからに外ならない。つまりSM的美観と言えると思う。





鳩目や紐かがりの金具が20個も並んだ編上式ブーツでは、締め紐による緊縛感が私の心を楽しませる。特に足首が細く引き締まって腓の上下に全く革のたるみがなく、編み上げられた脚線美は堪まらない。更に伸縮性の強い擬革で作られたブーツの艶やかな光沢や緊縮感も魅力的である。しかも、それが太腿高く締めつけた上縁部を尾錠で厳重に止めたものは、肉厚の白い腿が、その緊縛でくびれたその風情が、正に最高の魅力なのである。

太腿と言えば、私は先に『慕情』の中で羞恥責めに関連し、女性の腿の魅力について述べた。その中で、革紐だけで締め上げたサンダル・シューズの、その革紐を倍の長さにして、高腿まで締め上げることを提案した。処が先般、封切られた東映映画『手八丁口八丁』で、私の希望にピツタリ合致したサンダル風俗が採用されていたことは愉快この上ない。超ビキニで、殆どストリップの踊り子の舞台姿に近い恰好のフラワー・メグが太腿のつけ根まで届く革紐のサンダル・シューズを厳しく締め上げて暴れ回っているのである。

世は性の開放時代とかで、我々の身辺でも左様した傾向が漸次、なんの不思議もなく習俗化されてくるだろう。従って、SM的傾向の衣裳や風俗も次第に繁昌するものと思われる。これからは何も諸外国の事例を、とやこう羨むこともなくなるに違いない。

太腿縛りに関連して、最近号で大変興味ある通信文を拝見した。それは三重の安藤氏からのご寄稿である。すなわち兄は、山本富子夫人の鎖下着に加えて、鎖による太腿縛りを提案されている。太腿のつけ根を、左右の腿の間に鎖を8の字型に掛けて緊縛すれば、一層、夫人の下着の股間鎖が生きて来る。しかも、いくら緊縛しても、それによる歩行上の障害は余りない、とも説かれているのである。



実は、この腿縛りについては、かつて43年7月号に、同氏のご提案と殆ど同趣旨の投稿を挿絵入りでしたことがあった。私は、これを8文字方法と呼んでいるが、その時の提案では一旦、8文字縛りをした両腿を、更に一つに合わせて一巻きした上、両脇の間にも縄を差し入れて厳しく締め上げる中締め方式を併用したものであった。ただしこれは縄による緊縛法として記したものだから、鎖縛りでは、いささか趣きが異なって来るだろう。

 安藤兄は『慕情』その他、数度に及ぶ拙稿奴隷妻シリーズを、実に丹念にご精読下さっておられるありがたい方なのだが、太腿縛りについても愚生と同様のご高見を承ることが出来ためは全く奇縁と言う外はない。同好のマニアとして、ご芳情の程、深くお礼申し上げると共に、今後共、何分のご教示を賜らんことを願うものである。

さて、我が国では女性の装身具として腕環、足環の類が一向に常用化されないことが大きな不満であった。女性風俗が頓に露出度を増した今では、健康美を誇示するために、浅黒く肌を焦がすのも一方法に違いない。しかしそれだけにとどまらず、そこに何等かのアクセサリーの使用が、もっと一般化されてしかるべきだと私は思う。それかあらぬか、昨夏辺りから、多くの金属や鎖を素材にした装身具が市場に出回って来た。そして腕環、足環の類も漸次にではあるが、左程の不自然性なしに使用され始めた様に見受けられるのは将来に向かって楽しめる傾向である。

処で8月2日夜、何の気もなしに回したEチャンネルで、思い掛けない女性の美しい足環姿を見ることが出来た。それはTBSナイトUPで、現代の服飾問題を主題として討論した番組であった。若い世代の数人の集まりを司会したホステスが誰あろう『城下町』の安井かづみ氏であった。この時、かづみ女史の右足首に巾5pはあろうと思われる金属製の足環が、固く嵌め込まれていたのであった。その時、討論者グループの背景を成形していた数名のモデル達の中にも、足環を嵌めた娘がいたように憶える。それにしてもその時の女史の足環は、如何にも彼女の容姿に適合して、一種の幻想雰囲気さえ感じられた。彼女は日常、時折こうした足環の類を使用しているのだろうか、又は、その使用は番組のテーマに合わせた、その場限りの姿だったのか。あるいは足環の使用に関してどれ程SM感覚が働いたものか。更に彼女のSM観は、どうであろうか等々、全く知る由もない事柄ではある。ただ、ここで言えることは、女史のような若い人達に影響力のある方が、こうした風俗を積極的に取り容れられるならば、それに連れて、こうした風俗が次第に流行する契機となるであろう、と言うことである。

8月15日、日曜日の午下がり。国電中央線で乗り合わせた、若いカップルがあった。連れの女性が、ここでは問題なのである。彼女は濃緑色のノースリーブのボディシャツと同色のホットパンツに身を固めていた。靴下は淡い墨色、靴は流行の踵の太いハイヒールだったが、その色は黒か茶か憶えていない。身長はそれ程、長身ではないが、それなりにプロポーションが整い、身体つきも固く引き緊まって健康的である。容貌は丸顔で先ず先ずの当世風。それから受ける印象は従順らしく思われた。そして彼女は、惜し気もなく素肌を晒している左腕の上膊部に、巾6pばかりの太い金色のアームレットを嵌めていた。この腕環は、腕囲りの太い所を、サイズの小さいものを無理に嵌めているので、腕環の両端が合致せず、2p程も隙間を残したまま、ムッチリした二の腕の内側に深々と喰い込んでいる。しかも、その腕環には、なんとその外側に直径3p程の金環が埋め込まれていて、それが丁度、鋼壺の取手のように、ぶら下がっていたのであった。これを嵌めているご当人には、別段の意味合いがあってのことではなかったかも知れないが、これを、いわゆるSM的色眼鏡で見るならばこの腕環は使い方次第では直ちに手枷にも足伽にも、なり得る風情を示していた。

新宿辺りで下車した、この若い二人連れはどこへ出掛けたのだろうか…ボーリングか?映画か?それにしても、彼等二人きりでの閉ざされた私生活は一体、どんな風なのだろうか?こういうタイプの若い人達がSMプレイに進むのではあるまいか?等と、私の推理は例によって根拠のない勝手気侭な白日夢の世界にさ迷うのであった。



<5>
SM夫婦TV出演のこと




お茶の間に侵透するSM的TV番組は、それがご時勢とは言え、次第にその深刻さを増しつつあるようである。緊縛一つを例に取って見ても、秋山夫妻の残酷ショーがブラウン管から初めて飛び出した時のマニヤの喜びようはなかった。ついで緊縛師辻村隆氏の、ご出場に及んで、益々SM嗜好は高まったようである。しかし如何にポルノ時代だからと言っても、緊縛愛好老夫婦が、直接TVに出演しようとは夢にも思い掛けない出来事であった。それは9月2日、フジTVチャンネル『三時のあなた』と題する番組である。この番組は、高峰三桂子、山口淑子と言ったベテラン女優によって、交代してホステス役が受け持たれ、20〜30人の視聴者代表を前に、その折々のテーマに応じた何人かのゲストを呼んで行なわれる午後のワイド番組である。

実は事前にSM夫婦出演のことを知らなかった因果で、折角のこの貴重な番組を見逃がしてしまったのである。仄聞する所によれば、その時、出場されたマニアの方は、ご主人が40近い痩身、細君は20才代の体格の良い女性で、夫婦生活の一環として緊縛プレイを交互に縛りつ縛られつ楽しんでおられる情況が交々語れたのだそうである。流石に、ご両人による実演こそはなかったようだが、そのスタジオ内に並み居る多くの観衆は一体どんな気持で、このSM夫婦の話を傾聴しただろうか。観衆の多くは、いつも中年の女性が多いにつけても奥様連中が夫々の家庭での夫婦生活の実際と引き較べてどんな感慨を持たれたであろうか。SMも遂にここまで来たのかと嘆ぜざるを得ない。正にこの一件は、SM番組としては稀有の出来事と言っても良いと思う。従ってK誌上で他の誰方かによって、その逐一が報道される事を期待しているのだけれども、未だに、その噂も聞くことがないのは遺憾である。どうか当日の番組視聴者からの詳細なレポートを望んで止まない。あるいは、このTV番組の企画者、スタッフの方々、放映現場担当者、当日の司会者、又は当日の参会者等に極く親しい方でも居られたならば、その筋々を通じてでも、別のなんらかのルートによってでも、その日の実際の有様を窺い知ることが出来たらと思う。

辻村氏によれば、フジTVでは小川宏ショーでもM女性を登場させてSMを語らせるプランがあったが、この方面に相当、意図的であるらしい。マニアに取って見逃がせない番組でも事前に詳細が分からない悲しさ。こんな場合、殆ど実見する機会を逃がしてしまうことの方が多いのは残念でならない。嘗てTV番組、首斬り浅衛門での小川真由美さんの囚衣菱縄姿を見逃がされた砌の早木夢二大兄の無念さもさこそと合点されるのである。

付記。『性倒錯の世界』刺青の場面の中に私が先号でと紹介した刺青嬢、阿部明恵さんの姿を見掛けた。同嬢の耳に穿孔して飾られたイヤリングが、美しいカラーで撮されていたことを筆のついでにお知らせして置く。




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